土地家屋調査士行政書士 村上事務所
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私の起業物語

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起業物語

夜明け前の冒険

高校時代、私は進行方向を見失い、やる気を感じられず、無気力に毎日を送っていました。受験に失敗し、ランクを2つ下げた学校に進んだことで、学問、部活、さらには趣味すらもなく、ただただ時間が過ぎていくのを見ていました。

卒業後、目指すべき道はなく、友人の家で過ごす日々が続きました。手元にあるのは時間だけ。この究極的な暇つぶしの時間の中で、私が見つけた救いの手が「読書」でした。

図書館を彷徨い、目に止まる全ての本を手に取りました。読むことで、世界の多様性を感じることができました。古本屋のお世話になり、文庫本を次々に読み続ける生活。読んだ本はほとんど捨ててしまいましたが、心に深く刻まれた本だけは手元に残しました。

そこから、本を捨てるという新たな習慣が生まれ、何も勉強してこなかった高校時代の教養を一冊一冊の本とともに取り戻しました。

社会復帰の挑戦

ついに「このままではいけない」と自覚し、22歳で社会復帰を決意。それまでの数年間、私は本を読むこと以外何もしていませんでした。
就職の面接では、私には経験も資格も目指す夢もなく、多くの企業からは門前払いを食らいました。「なぜ当社を選んだのか」という質問に対しては、「どこでもいいから就職したかった」と答えるしかありませんでした。

資格があれば就職に有利だろうと考え、資格大百科という分厚い本を買いました。そして、最初に目に飛び込んできたのが「行政書士」の文字でした。
独立開業可能な資格だとあり、それは私にとって大きな衝撃でした。それまでの私には、仕事は就職して給料をもらうものとしか思っていませんでしたが、この新たな視点が私の世界を一変させました。

未来への挑戦

私は行政書士の試験を受けることを決意しました。暑い夏の日、まだ3ヶ月あると無邪気に思っていました。しかし、生活費を稼ぐためにも、働く場所を探し続けました。
最終的に見つけたのは、一見すると行政書士とは無関係の工場のライン作業の仕事でした。しかし、これは生活費を稼ぐため、そして行政書士としてのスキルを磨くための一時的なステップだと考えることで、少し気が楽になりました。

これが、私の不動産に対する興味と行政書士という夢への最初の一歩でした。失意の日々から読書を通じて世界を広げ、新たな可能性と出会い、未知なる挑戦を始めることができました。私のストーリーは、夜明け前の闘いから始まったのです。

工場勤務

工場でのライン作業は、私の想像以上に厳しかった。頭も体もフルに使う仕事で、休みなく駆り立てられる毎日だった。「このままじゃずっと惨めなまんまだな」と、私は自分の生活に絶望を感じながら日々を過ごしていた。

時間と体力を削りながら得られる収入は、ほんの僅か。収入を増やすには、さらに長時間働くしかない。その上、工場の仕事が減れば、たとえ働きたくても働けない日々が待っている。外的な要因に左右される人生が私を待ち受けていました。

また、社会人としての最初の仕事であるこの工場勤務は、自分の人生における選択の終焉を感じさせていた。毎日、決まった時間に起きて出社する、その繰り返しが一生続くと思うと憂鬱で仕方がなかった。それにもかかわらず、どこかで自分には「何かの才能がある」と信じていた。

この工場での仕事は、私の時間を過酷に剥奪した。12時間のシフト勤務、その上、通勤時間や残業を含めると、1日の大半を仕事に費やしていた。睡眠時間を6時間、食事や風呂などに1時間。すると、自分の時間はわずか2時間しか残らない。その2時間を、行政書士の勉強に費やすことに決めた。

だが、その2時間を見つけ出すことすら、想像以上に難しいことだった。夜勤の日は睡眠時間を確保しても、なかなか疲れが取れず、また残業が続くと、2時間すら手に入らない。さらに仕事自体が初めての就職ということもあり、新しい環境になれるまでには時間が必要だった。

そうして時間だけが平等に過ぎていく。行政書士の試験日が近づく一方で、私の勉強は全く進まなかった。理解もできていない。1年後の試験を考えると、それはあと一年この工場で働き続けるという意味でもあった。絶望的な状況だった。

しかし、そのとき私が必要としていたのは、試験の合格そのものではなく、勉強する習慣、勉強できる環境を作ることだった。この点に気づいたとき、私の人生は少しずつ、しかし確実に変わり始めたのである。

何が待っているのか

私の毎日は、工場での仕事と勉強の繰り返し。仕事して、勉強して、1日が終わる。そして、その日々が積み重ねられ、1週間、1ヶ月と時が流れる。そして繰り返すうちに、この先に何があるのか、自分自身でもわからなくなってきた。今していることがはたして正しいことなのか。続けたところで、いいことなんてあるのだろうか。

その時、心は折れそうになる。そして、そんな時、周りの人々が輝いて見える。同年代の彼らは、つらい平日の業務をこなし、週末になれば、飲みに出かけ、海だ、山だ、スキーだ、サーフィンだと青春を謳歌している。恋人と楽しい時間を過ごしている。その一方で私は、休みの日も、机の前に座っている。暗い顔して。読んでもわからないテキストと条文を眺めて。

「おれ、なんでこんなことしているんだろう」そんな疑問が頭をよぎる。決意なんてものは、脆く、簡単に打ち砕かれてしまう。心は容易に折れる。それでも私は勉強を続けていた。その理由は、他にすることがなかったからだ。

付き合っていた彼女に振られ、お金もないため、遊びにも行けない。試験勉強は、結構お金がかかるもので、なけなしのお金を使った以上、引くに引けない状況だった。食べたいものも我慢して、買いたいものも我慢して、生活さえも苦しいのに、高いテキストを購入した。だからには何が何でも理解してやろう、自分のものにしてやろうと、意地みたいなものがあった。

平日2時間の学習ノルマはなかなか達成できなかったので、休みの日に挽回するしかない。疲れがたまっていたりすると結局能率が悪いので、睡眠時間も上手に取りつつ、疲れをためないように、それでも目いっぱいの学習時間を確保することだけに神経を使っていた。

私の世界は狭く、外に出ることもない。デートもしない。(っていうか相手がいない)テレビも見ない。だけど徐々に本試験に向けて集中していけた。しかし、時間がないことには変わりなかった。

会社では、色々と理不尽なことがある。理不尽だと思いながらも、雇用されている立場は恐ろしく弱い。もういらない、もう明日から来なくていい、今日の君の仕事はないよ、なんて言われれば、また、職場を探さなければならない。私としては、それだけは避けたかった。

就職して初めて上下関係というものを体験した。上司と部下。上司の言うことは絶対でだれも逆らえなかった。私のいた課は、特に厳しかった。屈辱以外の何ものでもない思いもいっぱいした。

急激に変わっていく環境。今までどれだけ甘えていたかがわかるようになる。昔はあれほど時間をもてあましていたのに。。。昔はなんて一日は長く、いつまで人
生が続くのだろうと、うんざりし、果てしなく流れる時間をもてあまし、それは永遠に続くものと思っていた。

昔、どうやって、時間をやり過ごすか。そのことが重要だった。なんて無駄なことをしていただろうと、就職し行政書士を目指すようになってから、そう思う。当然、もうその時間を取り戻すことはできないのだ。今、この時さえも。

そして、現実に向き合う。「俺じゃなくてもいいということ、代わりはいくらでもいるということ」を思い知る。辞めても自分の代わりはたくさんいるという現実は、自己を全否定されているようでとてもつらい。だけど、それが現実だ。だれでも出来る仕事。そんな仕事ではなく、自分だけしか出来ない仕事がしたい。

そんな思いを、まだ出会わぬ行政書士の仕事に重ねる。夢はあっても不安は消えない。でも、「自分なら出来る」と無理やり信じ込むしかない。それしか、希望がなかった。

辞めたくて辞めたくて、それでも生活があるから辞められない。その先の食っていく見込みもないし。だからこそ、歯を食いしばり、淡々と勉強をし、まずは行政書士試験に合格しなければいけない。そうやってチャンスは自らつかまなければ、現状から抜け出すことは出来ない。

このとき、行政書士試験まで2ヶ月。ぜんぜん、勉強は進んでないし、合格レベルには程遠かった。おまけに、カラダはボロボロ、精神状態も不安定。それでも、走り続けるしかない。そう、決めて走った。一点突破するのみ。

試験勉強 第1フェーズ

毎日、給料のため、欲望のため、そして恐怖から逃れるために僕は働き続けた。しかし、立ち止まって自問すると、僕が真に求めているものはそうではない。それが何かを具体的に理解するために、僕は行政書士試験への道を選んだ。

恐怖と欲望、その二つの間で揺れ動きながら、僕らはなんとか生きている。しかし、それだけでは人生の根本的な問題は解決しない。一体人生とは何か、それを変えることが出来るのだろうか。資格試験に限らず、何かを成し遂げたい、人生を変えたいと思うなら、どこかで無理をしなきゃ、到底人生なんて変えられない。

そこで試験勉強の第一フェーズとして、僕は自分の時間を見直した。恐怖や欲望から逃れるためではなく、自分自身を高めるために時間を使うことに決めた。それはもちろん、資格試験のための勉強時間の確保だけではなく、自分の身の回りを整理する時間も含まれていた。

僕は気づいた。時間をコントロールすることこそが、人生をコントロールすることにつながると。それが、人生に何らかの不満が募った場合、まずは時間を見直すべきだと思った。

その結果、本棚に積み上げられた本を捨て始めた。これだけインターネットが普及しているにもかかわらず、本は増える一方だった。しかし、もう読み返すことのない本を手放すことで、新しいスペースが生まれ、新しい知識が入り込みやすくなった。

このフェーズでは、僕は「恐怖」から「望み」へと意識をシフトさせることを学んだ。それは、行政書士試験の勉強だけでなく、自己改革そのものでもあった。
それからは、よく晴れた日曜日も、朝寝坊をしたり、遊びに行くことは少なくなった。雨の日は好きだった。部屋の中で雨の音を聞きながら、勉強に専念できる。

職も、住む家も、周りの人たちも何もかも奪われた時、人間としての尊厳は保たれているのだろうか。そんなとき、国家資格、など役に立つのだろうか。でも、役に立たなくても「法律」で食べていくキッカケくらいにはなるだろう。

この第一フェーズの終わりに、僕はこのことを強く理解した。人の能力の差なんて、大して変わらない。それよりも大事なのは、どれだけ自分自身をコントロールできるか、どれだけ自分の時間を有効に使えるか、ということだ。そして、それは根性論や精神論ではなく、自分自身との戦いであることを。

試験結果 第2フェーズ

初めての行政書士試験は惨敗だった。これまで真剣に学びを追求したことのない高卒者が、法律の世界に飛び込んでわずか3ヶ月で資格を手にするほど、世界は甘くなかった。1日2時間、3ヶ月間、総勉強時間は180時間。それでも、私は確信していた、必ず受かると。しかし、今思えば、私が一番欠けていたのは基礎能力だった。もっと勉強時間が必要だった。

その結果は、心を揺さぶるショックだった。それまで一心不乱に努力したことがなかった私は、「これだけ頑張ったのだから受かるはずだ」という思い込みに囚われていた。しかし、努力が必ず結果に結びつくわけではない、その厳しい真実を学んだ。この経験は、今でも私の心に深く刻まれている。今では、「努力は必ずしも報われないが、努力しなければ成功することはない」と、そう理解することができる。

当時の私は、その事実を受け入れることができず、失意のどん底に沈んでいた。「あんなに勉強したのに」、「全てを犠牲にして勉強したのに」、「勉強に使った時間を返してほしい」と、私は自己憐憫に浸っていた。しばらくは、何も手に付かず、ただ時間だけが過ぎていき、私は茫然としていた。

そんな時、新たな戦略を立てることに決めた。現状から脱出するために、何としてでも資格を取得しなければならないと決心した。行政書士の資格は欲しかったが、即座には収入に結びつかなそうだった。そこで不動産業界に目を向けることにした。

高校時代、私はバブル期を経験していた。そして、そのバブルが崩壊したのは、私が高校を卒業した時だった。当時、不動産業で成功した大人たちの話を耳にしていた記憶があった。そこから不動産業界に興味を持つようになり、私は新たな目標を定めた。それは、土地家屋調査士の資格を取得することだった。不動産業界は、法律の知識が必要であり、既に行政書士試験の勉強をしていた私にとっては、続けて学ぶことが可能だった。また、不動産鑑定士の資格は、高収入を得るチャンスが大きいとも聞いていた。これを機に、私は再び勉強に取り組むことに決めた。

新たな勉強計画を立て、資格取得のための戦略を練った。その一環として、私は先輩土地家屋調査士からアドバイスを得るため、土地家屋調査士事務所に足を運んだ。その結果、私は専門的な知識だけでなく、具体的な業界の動向やリアルな業務の知識も得ることができた。

そうして、1年の間に、私は毎日4時間、合計約1,460時間を勉強に費やした。それは、前回の3倍以上の時間だった。しかし、その甲斐あって、次の年の試験で私は見事に土地家屋調査士の資格を手に入れることができた。

土地家屋調査士の資格を取得したことで、私は再び自信を持つことができた。それは、私が達成した目標だけでなく、失敗から立ち上がり、再び挑戦する勇気を持つことができたからだ。そして、私はその経験を通じて、勉強の重要性だけでなく、持続性と自己啓発の力を深く理解することができた。

私の物語はここで終わらない。土地家屋調査士としてのキャリアを積み重ねる中で、私は再び行政書士の資格を取得することを決意した。今度は前回の失敗を糧に、より深く、より広範囲にわたる法律の知識を身につけ、私は自分自身を更に高めるために挑戦を続けるのだ。

試験勉強 第3フェーズ

土地家屋調査士の資格を得た後、私は新たなステップとして土地家屋調査士事務所での仕事に挑戦した。それは一見すると理想的な環境で、ついには工場の単調な日々から解放されたという喜びがあった。

しかしながら、現実は甘くはなかった。高校を卒業して以来、社会とは無縁の生活を送ってきた私にとって、社会常識というものは見当もつかなかった。挨拶の仕方、名刺の交換、電話の対応、さらには自身の見た目に至るまで、ビジネスにおける基本的なスキルすら持っていなかった。

不動産鑑定士としての資格を得たとはいえ、私の知識はほとんどが試験勉強から得たもので、実際の不動産業や測量の現場の知識は全くなかった。そういった状況を面接の際には伝えていたが、すでに資格を得ている私に対しては何かと知識があるものと期待され、それがストレスとなってきた。

私を教育する役割を持つ先輩補助者は、私より7〜8歳年上で土地家屋調査士の資格を得るために試験を受けていたが、まだ合格に至っていなかった。試験には合格していないが、実務の経験は豊富な彼から見れば、私が試験に合格したことはある意味で屈辱だったのかもしれない。そのせいか、彼から具体的な仕事の教えを受けることはほとんどなく、自分自身で調査を行い、試行錯誤しながら覚えていくことを強いられた。

所長も私が本当に何も知らないことを理解してからは、一人のスタッフとしてではなく、知識と経験の欠如からくる「お荷物社員」のように扱われるようになった。それは初めて経験する社会の洗礼だった。

それでも、私の最終的な目標は、土地家屋調査士の資格を活用し、不動産業界で大きな飛躍を遂げることだった。そのためには、どんな困難も耐え忍び、必要な実務経験を積んでいくことが必要だと理解していた。

一年が経過し、私は新たな仕事に挑戦することを決めた。一年間の経験で一人前になることは困難だったが、少しずつ不動産の知識を得て、商売の本質やビジネス全体について考えることができるようになってきていた。

私はマンションを扱う会社に転職し、営業を担当した。その会社はマンションの販売だけでなく、管理やリノベーションも行うなど、不動産業務の幅広さを持つ企業だった。私はそこでマンションの販売やリノベーションの業務に従事し、さらに深く不動産業界に触れる機会を得た。

しかし、そこで取り扱っていた金融商品は、詳しく調査すると、その実態が詐欺に近いものであることが分かった。この経験を通じて、私は金融について深く学ぶ機会を得た。そして私は決断した。それは違法な商品を売ることを拒否し、その結果として会社を辞めるという決断だった。

私が土地家屋調査士事務所とマンション関連の会社で働いている間に、行政書士、宅建士、マンション管理業務主任者の資格も取得することができた。私は平日でも1〜2時間、休日には3〜4時間の時間を見つけて勉強を続け、さらなる資格を取得するための時間を作り続けた。

その後の経歴

私が行政書士の実務経験を積むための求人情報を探しても、土地家屋調査士事務所のようなところはほとんど見つからなかった。それならば自分で事業を始めてしまえばいい、という発想に至り、自身の起業を決意した。

私の事業の柱は行政書士の業務。
開発業や農地転用許可、位置指定道路など不動産の許認可を専門的に扱うようになった。
そして、この期間に更なる資格取得を進め、ビル経営管理士、不動産コンサルティングマスター、賃貸不動産経営管理士の資格を得ることができた。これらの資格を取得することで、不動産の業界での専門性をさらに高め、自身の事業を一層強固なものにすることができた。今現在も、不断の学びと経験を通じて、更なる飛躍を目指している。

ABOUT ME
株式会社三成開発
株式会社三成開発
土地家屋調査士行政書士 村上事務所
社名
株式会社三成開発

関連企業
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熊本県土地家屋調査士会登録番号
第1248号

熊本県行政書士会登録番号
第04431128号

一般建設業熊本県知事許可
(般-5)第20080号

住所
〒860-0088
熊本県熊本市北区津浦町44−5

電話番号
096−200−9695

ファックス番号
096−200−9752

創業
2004年6月

保有資格
行政書士
宅地建物取引主任士
土地家屋調査士
ビル経営管理士
不動産コンサルティングマスター
マンション管理業務主任者
賃貸不動産経営管理士
2級土木施工管理技士
測量士
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