都市計画制度の150年 ── 誰が、何を、どう決めてきたか

地央 まちづくりの見取り図 都市法制の歴史

1868 → 2018
都市計画制度の150年
誰が、何を、どう決めてきたか
1888
東京市区改正条例
1919
旧都市計画法
1968
新都市計画法
そして2014年、立地適正化計画へ
CHIOU 株式会社地央

都市計画制度の150年 ── 誰が、何を、どう決めてきたか

出典:公表資料より構成

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この記事の要点

  • 150年で変わったのは条文だけではない。決める主体・扱う対象・使う手法の三つが、それぞれ別のタイミングで動いてきた
  • 主体は「国(内務省)」→「国と地方」→「多様な主体(官民連携)」へ。対象は「重要施設」→「土地利用」→「地域空間・都市機能」へ
  • 手法はつくる(事業)→ 止める(規制)→ 促す(誘導)と変わった。強制力が段階的に弱まった分、合意形成の比重が増している

都市計画の歴史は、たいてい年表で語られます。1888年に市区改正条例、1919年に旧法、1968年に新法、2014年に立地適正化計画。たしかにその通りなのですが、年表だけを覚えても、実務ではあまり効きません。

効くのは、その制度が「誰の仕事」で「何を扱い」「どうやって効かせる」ものなのかを押さえておくことのほうです。そこがわかると、いま目の前にある計画がなぜその形をしているのかが見えてきます。

この記事は、150年を主体・対象・手法という三つの軸で追い直したものです。出来事の物語としては日本の都市・建築法制 百年の軌跡、現行制度の構造としては都市計画法の全体像で扱っています。

150年の人口動態と、三つの50年

150年の人口動態と、三つの50年
総人口(万人)
0
4,000
8,000
12,000
Phase 1
試行錯誤の50年
Phase 2
技術蓄積の50年
Phase 3
新法時代の50年
1868
1918
1968
2018
約3,000万人
1966年 1億人突破
2008年 約1億2,800万人(ピーク)
江戸時代後半の約3,000万人から150年で約1億人増えた。その「拡大の時代」が終わり、これからの50年は「縮小の時代」への適応が問われる。
図1 150年の人口動態と、三つの50年タップで拡大

まず、制度が置かれてきた地面のほうを見ておきます。

明治元年(1868年)の日本の人口は約3,000万人。1966年に1億人を突破し、2008年に約1億2,800万人でピークを迎えました。150年で約1億人増えたことになります。

この150年は、ちょうど三つの50年に分かれます。

  • 1868〜1918年。近代都市計画の試行錯誤 ── 市区改正の時代
  • 1919〜1968年。震災・戦災復興を通じた技術蓄積 ── 旧法体制
  • 1968〜2018年。現代都市への対応 ── 新法体制

そして、その「拡大の時代」が終わりました。これからの50年は、縮小の時代への適応が問われます。ここまで積み上げてきた制度の大半は、増える人口を前提に設計されたものです。

三つの軸 ── この記事の読み方

この記事の読み方 ── 三つの軸で追う
制度の年表ではなく、制度の性格がどう変わったかを見る
誰が主体国(内務省)

国と地方

多様な主体(官民連携)
何を対象「重要施設」

「土地利用」

「地域空間・都市機能」
どう手法建設事業

規制(土地利用コントロール)

管理と誘導
この三つが、それぞれ別のタイミングで動いている。
主体が広がるのと、対象が広がるのと、手法が変わるのは、同じ年に起きたわけではない。
図2 三つの軸 ── 主体・対象・手法タップで拡大

制度の変遷を追うときに、三つの軸を分けて見ます。

誰が(主体)。国(内務省) → 国と地方 → 多様な主体(官民連携)

何を(対象)。「重要施設」 → 「土地利用」 → 「地域空間・都市機能」

どう(手法)。建設事業 → 規制(土地利用コントロール) → 管理と誘導

大事なのは、この三つが同じ年に動いたわけではないということです。

たとえば対象が「施設」から「土地利用」へ広がったのは1968年ですが、主体が地方へ本格的に降りるのは1992年の市町村マスタープラン創設を待ちます。手法が「規制」から「誘導」へ移るのは、さらに二十年あとです。ずれながら動いているので、時期によって組み合わせが違う。

出発点 ── 1888年「東京市区改正条例」

出発点 ── 1888年「東京市区改正条例」
1872年(明治5年)の銀座の大火で、東京中心部の町並みが焼失した。政府は焼失跡地の道路拡幅と建築物の不燃化を計画するが、完全な実現には至らない。
それでも、ここが都市計画的な介入の原点となった。
目的と手法日本の都市計画の実質的な原点。
道路・運河・橋梁・上下水道などの「施設整備事業(建設)」が中心
対象地域当初は東京の市街地改造のみに限定。
大正7年(1918年)に東京近郊や大阪など他の大都市へも適用が拡大される
主体と特徴国が主体の事業として展開。
「規制」や「計画」の概念はまだ弱く、局所的なインフラ整備に留まる
この段階では、都市計画とは「つくること」だった。土地の使い方を決めるという発想は、まだない。
※ 元資料は大火を「明治10年(1877年)」としているが、銀座煉瓦街の契機となった大火は明治5年(1872年)である
図3 1888年 東京市区改正条例タップで拡大

1872年(明治5年)の銀座の大火で、東京中心部の町並みが焼失しました。政府は焼失跡地の道路拡幅と、建築物の煉瓦造化による不燃化を計画します。完全な実現には至りませんでしたが、ここが都市計画的な介入の原点になりました。この経緯は百年の軌跡で詳しく扱っています。

制度として形になったのが、1888年の東京市区改正条例です。

目的と手法。道路・運河・橋梁・上下水道などの「施設整備事業(建設)」が中心でした。

対象地域。当初は東京の市街地改造のみに限定され、大正7年(1918年)に東京近郊や大阪など他の大都市へも適用が拡大されます。

主体と特徴。国が主体の事業として展開されました。「規制」や「計画」の概念はまだ弱く、局所的なインフラ整備に留まります。

三つの軸でいえば、主体=国、対象=局所インフラ、手法=建設事業。この段階では、都市計画とは「つくること」でした。土地の使い方を決めるという発想は、まだありません。

元資料は大火を「明治10年(1877年)」としていますが、銀座煉瓦街の契機となった大火は明治5年(1872年)です。本記事では1872年としています。

1919年「旧法体制」の確立 ── 二つの法律で体系になる

1919年「旧法体制」の確立 ── 技術ゼロからのプロフェッション形成
第一次世界大戦を契機とした工業化の急進展により、都市への急激な人口集中と市街地の拡大が起きた。
道路や水路を造るだけの「市区改正」では対応不可能となり、都市全体をコントロールする法制化が急務となる。
大正8年(1919年)── 二つの法律
都市計画法(旧法)都市全体の計画と、施設整備事業
市街地建築物法現在の建築基準法にあたる、建築の規制
対象東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸の6大都市から適用開始
概念「重要施設」の立地をあらかじめ公定し、国(内務省)の力で計画調整する行政事務
ここで「主体=国」「対象=重要施設」「手法=事業」という組み合わせが固まる。
図4 1919年 旧法体制の確立タップで拡大

第一次世界大戦を契機とした工業化の急進展により、都市への急激な人口集中と市街地の拡大が起きます。道路や水路を造るだけの「市区改正」では対応できなくなり、都市全体をコントロールする法制化が急務になりました。

大正8年(1919年)、二つの法律が同時に制定されます。

都市計画法(旧法)。都市全体の計画と、施設整備事業を担います。

市街地建築物法。現在の建築基準法にあたる、建築の規制です。

適用は東京・横浜・名古屋・京都・大阪・神戸の6大都市から始まりました。

ここで固まった概念が、「重要施設」の立地をあらかじめ公定し、国(内務省)の力で計画調整する行政事務というものです。

三つの軸でいえば、主体=国(内務省)、対象=重要施設、手法=事業。この組み合わせが、以後およそ半世紀続きます。

技術の担い手 ── 官僚プロフェッションと、区画整理の来歴

技術の担い手 ── 官僚プロフェッションと、区画整理の定着
制度施行時、技術はほぼゼロ都市計画の「技術」は、法律ができた時点では存在しなかった。土木・建築・公園(造園)の3分野の官僚が内務省を中心に形成され、高度な官僚プロフェッションとして技術を独占的に蓄積していく
土地区画整理という手法の来歴
1899年 耕地整理法農地の交換分合のルールとして制定
1923年 関東大震災帝都復興事業で大規模に実践される
標準的な手法へ大火・水害・津波からの復興における標準手法として定着
技術が国に集中したことは、この時期には合理的だった。

しかし同時に、地方には技術が育たないという構造も、ここで決まっている。その帰結が現れるのは、権限が地方へ降りたあとである。

図5 技術の担い手と、区画整理の定着タップで拡大

見落とされがちなのですが、1919年に法律ができた時点で、都市計画の「技術」はほぼ存在しませんでした。

土木・建築・公園(造園)の三分野の官僚が内務省を中心に形成され、高度な官僚プロフェッションとして技術を独占的に蓄積していきます。実務を回せる人が、国の中にしかいなかった。

その蓄積の代表が、土地区画整理という手法です。

もとは1899年(明治32年)の耕地整理法。農地の交換分合のルールとして生まれた仕組みでした。これが1923年の関東大震災の帝都復興事業で大規模に実践され、以後、大火・水害・津波からの復興における標準的な手法として定着します。

技術が国に集中したことは、この時期には合理的でした。ただし同時に、地方には技術が育たないという構造も、ここで決まっています。その帰結が現れるのは、権限が地方へ降りたあとのことです。

旧法体制の限界 ── 事業中心では、面を扱えない

旧法体制の限界 ── 1966年、人口1億人を突破
1945年〜 戦災復興大東亜戦争の復興事業に、土地区画整理を広範に適用
内務省の解体「官僚プロフェッション」が崩壊し、都市計画は地方自治体の「行政事務」へ移行
1960年代 高度経済成長1966年に総人口1億人を突破。モータリゼーションで都市機能がパンク状態に
何が足りなかったのか大正8年制定の旧法は、「事業中心」の法律だった。

重要な施設を決めて、そこを整備する。
その周りで何が起きるかは、法律の視野の外にある。

結果として、無秩序な市街地の拡大(スプロール)を制御する手段を持たなかった。

半世紀近く使われた法律が、人口が倍以上になった都市には効かなくなった。
図6 旧法体制の限界 ── 1966年、人口1億人タップで拡大

戦後、状況が三段階で変わります。

1945年〜、戦災復興。復興事業に土地区画整理が広範に適用されました。蓄積された技術が、ここで大きく使われます。この時期の詳細は焦土から、コンパクトシティへで扱いました。

内務省の解体。技術を独占していた「官僚プロフェッション」が崩壊し、都市計画は地方自治体の「行政事務」へ移行します。担い手が変わったのに、受け皿の技術はまだないという状態でした。

1960年代、高度経済成長。1966年に総人口が1億人を突破。モータリゼーションが進み、都市機能がパンク状態になります。

ここで旧法の弱点が露呈しました。大正8年制定の旧法は「事業中心」の法律です。重要な施設を決めて、そこを整備する。その周りで何が起きるかは、法律の視野の外にあります。

結果として、無秩序な市街地の拡大(スプロール)を制御する手段を持たなかった。半世紀近く使われた法律が、人口が倍以上になった都市には効かなくなったわけです。

1968年「新法体制」── 施設から、土地利用へ

1968年「新法体制」への転換 ── 施設から、土地利用へ
旧法体制(〜1967年)「施設」の時代主眼:都市施設の整備・建設事業
欠点:計画の根拠性が乏しく、個別の事業が乱立した
新法体制(1968年〜)「土地利用」の時代主眼:都市の健全な発展と秩序ある整備のための土地利用コントロール
成果:計画が事業・規制の明確な根拠として位置づけられた
重点が「施設整備(事業)」から「本格的な土地利用コントロール」へ移った。ここが最大の転換点である。
あわせて、主体も動いた。それまで国が握っていた都市計画の決定権が、地方政府へ広がっていく。
ただし技術を蓄えてきた内務省はすでになく、受け皿の側は手探りだった。
図7 1968年 施設から、土地利用へタップで拡大

1968年(昭和43年)の全面改正は、対象の軸がいちばん大きく動いた瞬間です。

旧法体制(〜1967年)は「施設」の時代。主眼は都市施設の整備・建設事業にありました。欠点は、計画の根拠性が乏しく、個別の事業が乱立したことです。

新法体制(1968年〜)は「土地利用」の時代。主眼は、都市の健全な発展と秩序ある整備のための土地利用コントロールへ移ります。成果として、計画が事業・規制の明確な根拠として位置づけられました。

あわせて、主体も動いています。それまで国が握っていた都市計画の決定権が、地方政府へ広がっていく。ただし技術を蓄えてきた内務省はすでになく、受け皿の側は手探りでした。

いま地方自治体の都市計画担当が少人数で回っていることの遠因は、この「技術の断絶」にあると私は思っています。

新法の三つの機軸 ── 線を引き、中を決め、外を止める

新法の三つの機軸 ── 線引き・用途地域・開発許可
区域区分(線引き)都市計画区域を、市街化区域市街化調整区域に区分する。

「おおむね10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域」と、「市街化を抑制すべき区域」

用途地域主に市街化区域内に指定。

住居・商業・工業などの用途を細かく区分し、建築物の形態(容積率・建蔽率)を規制する。建築基準法と連動して働く

開発許可制度区域区分の実効性を担保する仕組み。

とくに市街化調整区域で一定規模以上の開発行為を厳格に制限し、都市計画の意図しない開発をブロックする

三つはセットで働く。線を引き、中の使い方を決め、外での開発を止める。
それぞれの詳しい仕組みは、別稿でまとめた。
図8 新法の三つの機軸タップで拡大

新法が導入した仕組みは、三つがセットで働きます。

区域区分(線引き)。都市計画区域を、市街化区域と市街化調整区域に区分します。前者は「すでに市街地を形成している区域」および「おおむね10年以内に優先的かつ計画的に市街化を図るべき区域」、後者は「市街化を抑制すべき区域」です。

用途地域。主に市街化区域内に指定し、住居・商業・工業などの用途を細かく区分して、建築物の形態(容積率・建蔽率)を規制します。建築基準法と連動して働きます。

開発許可制度。区域区分の実効性を担保する仕組みです。とくに市街化調整区域で一定規模以上の開発行為を厳格に制限し、都市計画の意図しない開発をブロックします。

線を引き、中の使い方を決め、外での開発を止める。三つが揃ってはじめて土地利用コントロールが成立します。それぞれの詳しい仕組みは都市計画法の全体像にまとめました。

制度の成熟と詳細化 ── マクロとミクロへ枝分かれする

制度の成熟と詳細化 ── 1980年代から1990年代へ
全国一律のルールでは、地方分権と自治体主導の計画づくりに応えられない。
この時期、都市計画はマクロとミクロの両方向へ枝分かれする。
Macro ── 全体像を市町村が描く
市町村マスタープラン1992年 創設住民に最も近い市町村が、将来の都市の姿(全体構想)を明確化する。
地方分権・自治体主導の計画づくりへ
Micro ── 街区のルールを地区が決める
地区計画1980年 創設用途地域のような全国一律の網かけではなく、街区レベルの特性に応じて建物のデザイン、垣や塀の構造などを定める。
身近な「まちづくり」の法的根拠
主体の軸がここで大きく動いた。国と都道府県だけの仕事ではなくなり、市町村と地区が計画の担い手に加わる。
図9 1980年 地区計画/1992年 市町村マスタープランタップで拡大

1980年代から1990年代にかけて、都市計画は二方向へ枝分かれします。全国一律のルールでは、地方分権と自治体主導の計画づくりに応えられなくなったからです。

マクロ方向 ── 1992年、市町村マスタープランの創設。住民に最も近い市町村が、将来の都市の姿(全体構想)を明確化する仕組みです。地方分権・自治体主導の計画づくりへ舵が切られました。

ミクロ方向 ── 1980年、地区計画の創設。用途地域のような全国一律の網かけではなく、街区レベルの特性に応じて、建物のデザインや垣・塀の構造などを定めます。身近な「まちづくり」の法的根拠になりました。

三つの軸でいうと、ここで主体の軸が大きく動いています。国と都道府県だけの仕事ではなくなり、市町村と地区が計画の担い手に加わった。

実務でいえば、地区計画は住民が自分たちでルールを決められる数少ない道具です。使いこなせている地域とそうでない地域の差が、いちばん出るところでもあります。

縮小への初期対応 ── なぜ中心市街地活性化は広がらなかったか

縮小への初期対応 ── 中心市街地活性化(1998年・2006年)
1998年 まちづくり三法の施行中心市街地活性化法・改正都市計画法・大規模小売店舗立地法
2006年 三法の改正大規模集客施設の郊外立地を規制し、中心市街地への都市機能の集約を図る
単心型コンパクトシティの限界1ヶ所の中心市街地に都市機能(商業・医療・居住など)を集める単心型の政策だった。

全国で活用が広がらず、活性化の成果が限定的に留まる自治体が多く見られた。

→ より広域的で多極的なアプローチの模索へ

なぜ広がらなかったのか。一つの中心に集めるという設計は、合併して広くなった市では、旧町村部を丸ごと対象外にすることを意味した。
政治的にも、生活実態としても、そのまま採用できる自治体は多くなかった。
図10 1998・2006年 中心市街地活性化タップで拡大

人口減少への対応は、実は2014年より前から始まっていました。

1998年、まちづくり三法の施行。中心市街地活性化法・改正都市計画法・大規模小売店舗立地法の三本です。

2006年、三法の改正。大規模集客施設の郊外立地を規制し、中心市街地への都市機能の集約を図りました。

方向としては正しかったはずです。ただ、成果は限定的でした。

理由は「単心型」だったことにあります。1ヶ所の中心市街地に都市機能(商業・医療・居住など)を集める設計でした。全国で活用が広がらず、活性化の成果が限定的に留まる自治体が多く見られた、と総括されています。

なぜ広がらなかったのか。一つの中心に集めるという設計は、合併して広くなった市では、旧町村部を丸ごと対象外にすることを意味しました。政治的にも、生活実態としても、そのまま採用できる自治体は多くありません。

この反省が、次の「多極」につながります。

2014年「立地適正化計画」── 多極ネットワーク型へ

現代の枠組み ── 2014年「立地適正化計画」の創設
根拠法:改正都市再生特別措置法
単心型(中心市街地のみ) から 「多極ネットワーク型コンパクトシティ」 へ
居住誘導区域人口密度を維持し、生活サービスやコミュニティを持続的に確保する
都市機能誘導区域医療・福祉・商業などの都市機能を、拠点に集約する
地域公共交通拠点間を結ぶネットワークを、あわせて計画する
普及状況 ── 2019年7月時点で272の自治体が策定済み、477の自治体が具体的な取組中
図11 2014年 立地適正化計画タップで拡大

2014年、改正都市再生特別措置法により立地適正化計画が創設されました。単心型から「多極ネットワーク型コンパクトシティ」への転換です。

設定するのは三つの要素。居住誘導区域で人口密度を維持し、都市機能誘導区域に医療・福祉・商業などを集約し、それらを地域公共交通のネットワークで結びます。

普及状況としては、2019年7月時点で272の自治体が策定済み、477の自治体が具体的な取組中と記録されています。

ここで手法の軸が決定的に動きました。線引きが禁止で効かせる制度だったのに対し、立地適正化計画は誘導で効かせる制度です。区域の外に住んではいけない、という規制ではありません。

この違いは、住民説明の場でいちばん誤解されるところでもあります。戦後八十年の流れのほうでも触れました。

策定自治体数は年々増えています。最新の数値は国土交通省の公表資料でご確認ください。

都市計画を担う主体の多様化 ── 官から、民へ

都市計画を担う主体の多様化 ── 官から、民へ
公益追求
私益追求
公的主体
私的主体
政府 ──「官の都市計画」法定都市計画など
NPO・市民 ──「NPOの都市計画」まちづくり活動
企業 ──「企業の都市計画」不動産開発、沿線開発
公的主体が私益を追うことは、制度上想定されていない
旧法時代の「国(内務省エリート)による一極集中」から、現代は官・民・NPOが異なる動機(利益・公益)を持ちながら、協定や契約によってハイブリッドに「協働」する時代へ。
図12 主体の多様化 ── 官から、民へタップで拡大

主体の軸を、もう少し丁寧に見ておきます。「公益を追うか、私益を追うか」と「公的主体か、私的主体か」で分けると、三つの都市計画が現れます。

  • 「官の都市計画」。政府(公的主体・公益追求)による法定都市計画など
  • 「NPOの都市計画」。NPO・市民(私的主体・公益追求)によるまちづくり活動
  • 「企業の都市計画」。企業(私的主体・私益追求)による不動産開発、沿線開発

旧法時代の「国(内務省エリート)による一極集中」から、現代は官・民・NPOが異なる動機を持ちながら、協定や契約によってハイブリッドに協働する時代へ移りました。

この構図は、官民連携の実務にそのまま重なります。官民連携とソーシャル・キャピタルで全国9市町の事例を、つながりを資本に変えるで社会的企業という解き方を扱いました。

注意しておきたいのは、私益を追う主体が入ることは、悪いことではないという点です。公益だけで回る仕組みは、補助金が切れた時点で止まります。私益の動機をどう公益に噛み合わせるかが、いまの官民連携の設計課題です。

100年の変遷 ── 一枚に置き直す

100年の変遷 ── 都市計画システムの成熟
1919旧法
1968新法
2014立地適正化
主体
国(内務省)
国・地方
多様な主体(官民連携)
対象
「重要施設」
「土地利用」
「地域空間・都市機能」
計画
建設計画
整備・開発・保全計画
管理(マネジメント)計画
方法
施設整備事業
(事業中心・規制は後追い)
事業・規制
(土地利用コントロールの確立)
誘導
(コンパクト・ネットワーク化)
つくる(事業)→ 止める(規制)→ 促す(誘導)。強制力は段階的に弱まり、その分だけ合意形成の比重が増していった。
図13 100年の変遷 ── 総括マトリクスタップで拡大

三つの体制を、四つの項目で並べるとこうなります。

  • 主体。国(内務省) → 国・地方 → 多様な主体(官民連携)
  • 対象。「重要施設」 → 「土地利用」 → 「地域空間・都市機能」
  • 計画。建設計画 → 整備・開発・保全計画 → 管理(マネジメント)計画
  • 方法。施設整備事業(事業中心・規制は後追い) → 事業・規制(土地利用コントロールの確立) → 誘導(コンパクト・ネットワーク化)

手法の欄を横に読むと、はっきりした傾向が出ます。つくる(事業) → 止める(規制) → 促す(誘導)。

そして、強制力は段階的に弱まっています。事業には収用がありました。規制には不許可という強い効果があります。誘導には、そのどちらもありません。

その分だけ、合意形成の比重が増した。いまの都市計画の仕事が「調整」と「説明」に多くの時間を割くのは、担当者が非効率だからではなく、制度がそういう設計になったからです。

結び ── 拡大と構築の時代は終わった

拡大と構築の時代は終わり、
管理と誘導の時代に入った
明治から150年、1億人分の都市空間をゼロから「構築」し、スプロールを「規制」する時代は役割を終えた。

これからの都市計画は、拡大を前提とした「都市再生」ではなく、人口減少に合わせた計画的な縮小と質的向上を図る仕事になる。

CHIOU 株式会社地央
図14 結びタップで拡大

明治から150年。1億人分の都市空間をゼロから「構築」し、スプロールを「規制」する時代は、役割を終えました。

これからの都市計画は、拡大を前提とした「都市再生」ではなく、人口減少に合わせた計画的な縮小と質的向上を図る仕事になります。国土のレベルでどう構想されているかは国土の刷新で扱いました。

三つの軸で言い直すと、こうなります。

主体は、もう国だけでは足りない。市町村と、地区と、NPOと、企業が同じ地図の上で動く。

対象は、施設でも土地でもなく、そこで営まれる暮らしそのものになった。「地域空間・都市機能」という言い方は、そういう意味だと思います。

そして手法は、強制から合意へ移った。これは制度が弱くなったのではなく、効かせ方が変わったということです。過去の技術遺産(法制度と規制手法)を引き継ぎながら、多様な主体の協働によって、地域空間を再編集していく。それがいま求められている仕事の形です。

自分の自治体を三つの軸で読むときの確認ポイント

  • 主体。都市計画の決定権限のうち、都道府県が持つものと市町村が持つものを把握しているか
  • 主体。市町村マスタープランは、いつ策定され、いつ改定されたか
  • 対象。地区計画が定められている区域はどこか。使われているか
  • 手法。規制(線引き・用途地域)と誘導(立地適正化計画)が矛盾していないか
  • 手法。誘導区域の設定が、公共交通のネットワークと噛み合っているか

参考文献・出典

本記事は、東京市区改正条例、都市計画法(旧法・現行法)、市街地建築物法、耕地整理法、都市再生特別措置法、中心市街地の活性化に関する法律の各制定・改正経緯、および国土交通省ほかの公表資料をもとに構成しています。年次・数値は資料により異なる場合があります。元資料には同一の内容を扱う重複したスライドが含まれていたため、本記事では統合して整理しました。実際の検討にあたっては、原典と当該自治体の公表資料をご確認ください。

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