明治から戦前まで ── いまの制度は、どこから来たか
- 出発点は地租改正。土地に私的所有権が生まれ、売買と課税の対象になった
- 明治民法が所有権の強さを定めた。これが今も制度設計の前提になっている
- 大正8年、都市計画法と市街地建築物法が同時に制定された。二本立ての始まり
- 関東大震災の復興で土地区画整理が大規模に用いられ、以後の基本手法になった
いまの土地法制は、突然できたものではありません。それぞれの時代が抱えた問題に応じて、順に積み上げられてきたものです。
なぜ都市計画法と建築基準法が別々にあるのか。なぜ区画整理という手法が使われるのか。その理由の多くは、明治から戦前までの経緯にあります。
この記事では、現行制度の骨格がどう形づくられたかをたどります。歴史そのものより、いまの実務にどう効いているかに重点を置きます。
出発点 ── 地租改正
明治6年(1873年)、地租改正が始まりました。
| それまで | それ以降 |
|---|---|
| 年貢は米で納める | 地租を現金で納める |
| 収穫高に応じて変動 | 地価を基準に定額 |
| 土地の売買は原則禁止 | 売買が自由に |
| 耕作する権利 | 所有権 |
地租改正は、単なる税制の変更ではありません。
- 土地に私的所有権が認められた 地券が交付され、所有者が確定した
- 土地が売買の対象になった 担保に入れることもできるようになった
- 土地の価格が課税の基準になった 地価という概念が制度に組み込まれた
現在の登記制度、不動産取引、固定資産税。いずれもこの時点を起点としています。
また、このとき作られた地押調査などの図面が、公図の元になっています。現在の公図に精度の問題が残るのは、この由来によるものです。
所有権と、その裏返し
所有権が認められたことで、土地は資産になりました。同時に、次の問題も生じます。
- 地租を払えない者が土地を手放す
- 土地が一部に集中し、小作関係が広がる
- 都市部では、所有者の意向がなければ道路一本通せない
最後の点が、後の都市計画制度が向き合い続ける課題になります。
明治民法 ── 所有権の強さ
明治31年(1898年)、民法が施行されました。所有権は、法令の制限内で自由に使用・収益・処分できる権利と定められます。
所有権は絶対ではなく、法令によって制限できるという構成です。
この一節があることで、後の都市計画法、建築基準法、農地法といった規制立法が可能になりました。
逆に言えば、法令の根拠がなければ制限できません。行政が「望ましくない」と考えても、根拠となる規定がなければ止められない。この構造は現在も変わりません。
土地の規制をめぐる議論が、常に「どの法律の、どの条文で」という形になるのは、ここに由来します。
借地・借家をめぐる立法
都市に人口が集まると、借りて住む人が増えます。所有権が強いままでは、借りる側の立場が不安定になります。
大正10年(1921年)に借地法・借家法が制定され、借りる側の保護が図られました。現在の借地借家法につながる系譜です。
所有権を強く認めたうえで、必要に応じて個別法で調整する。この組み立て方が、日本の土地法制の基本形になっています。
大正8年 ── 二本立ての始まり
大正8年(1919年)、二つの法律が同時に制定されました。
| 役割 | |
|---|---|
| (旧)都市計画法 | 都市の全体を計画する。用途地域、都市計画事業、区画整理 |
| 市街地建築物法 | 個々の建築物を規制する。構造、防火、高さ |
面を計画する法律と、個別の建物を規制する法律。この二本立てが、ここで始まりました。
現在の都市計画法と建築基準法の関係は、この構造をそのまま受け継いでいます。「車の両輪」と言われるのは、生まれが同じだからです。
用途地域の始まり
このとき定められた用途地域は、住居・商業・工業の三種類でした。
目的は、工場と住宅が混在することで生じる問題を防ぐことです。当時の都市では、住宅の隣に工場が建つことが珍しくありませんでした。
| 時期 | 用途地域の数 |
|---|---|
| 大正8年 | 3種類 |
| 昭和25年 | 4種類 |
| 昭和43年 | 8種類 |
| 平成4年 | 12種類 |
| 平成30年 | 13種類(田園住居地域を追加) |
都市の用途が複雑になるにつれて、区分も細かくなってきました。
建築線と、接道の考え方
市街地建築物法には建築線という制度がありました。建築物はこの線を越えて建ててはならない、という規制です。
現在の建築基準法における接道義務や、二項道路の後退の考え方は、ここに源流があります。
関東大震災 ── 区画整理という手法
大正12年(1923年)の関東大震災は、都市の脆弱さを明らかにしました。
焼失した市街地を、道路や公園を確保した形に作り替える必要がありました。
そこで大規模に用いられたのが、土地区画整理です。
- 権利者から少しずつ土地を出してもらう(減歩)
- それを道路や公園に充てる
- 宅地は形を整えて配置し直す(換地)
- 個々の面積は減るが、条件が良くなることで価値を保つ
用地を買収せずに、面的な整備ができる。この点が、所有権の強い日本の制度と相性が良かったといえます。
「都市計画の母」と呼ばれることがあるのは、その後の市街地整備で繰り返し使われてきたためです。
受益者負担という考え方
公共施設の整備で利益を受ける者に、その費用の一部を負担させる。この考え方も、この時期に制度化されました。
区画整理における減歩は、この考え方を土地そのもので行うものと理解できます。
戦時期 ── 統制と、その残影
昭和期に入り、戦時体制が強まると、土地に対する統制も強化されます。
| 制度 | 内容 |
|---|---|
| 防空法 | 建物疎開。延焼を防ぐため、建物を強制的に除却した |
| 価格統制 | 地代・家賃の統制 |
| 土地の収用 | 軍需のための用地取得 |
建物疎開によって生じた空地は、戦後、道路や公園として整備された例があります。
また、疎開に伴う権利関係の処理が不十分なまま終戦を迎えた地域では、登記と現況の食い違いが残ることがあります。
境界や権利関係を調べる際、戦前・戦中の経緯が背景にある場合があります。登記記録が古い土地では、この可能性を念頭に置いてください。
戦前までに定まったこと
| 要素 | いまも続いていること |
|---|---|
| 私的所有権 | 土地は個人の資産。収用には根拠法と補償が要る |
| 法令による制限 | 規制には必ず法律上の根拠が必要 |
| 二本立ての構造 | 面の計画(都市計画)と点の規制(建築) |
| 用途地域 | 用途を分けて混在を防ぐ発想 |
| 区画整理 | 買収によらない面的整備の手法 |
| 受益者負担 | 整備で利益を受ける者が費用を負担する |
戦後の制度は、これらを引き継いだうえで組み替えられていきます。
実務にどう効くか
公図の由来
地租改正期に作られた図面を元にした公図が、いまも一部で使われています。
現地と整合しない、面積が実測と合わない、形状が不正確。こうした問題は、作成時の目的と精度に由来します。課税のための図面であって、境界を特定するためのものではなかったためです。
「法令の制限内で」の意味
規制ができるかどうかは、法令に根拠があるかどうかで決まります。
行政との協議で「望ましくない」と言われたとき、それが法令上の制限なのか、行政指導なのかを分けて確認してください。効果がまったく違います。
古い建物の扱い
市街地建築物法の時代に建てられた建物は、現行の建築基準法が適用される前のものです。
そのまま存続することは認められますが(既存不適格)、建て替えの際には現行の基準が適用されます。接道、容積率、高さ。同じ規模で建て替えられないことがあります。
- 公図が現況と整合しない作成時の目的と精度による
- 面積が実測と大きく異なる
- 登記記録が明治・大正期のまま残っている
- 建物が市街地建築物法の時代に建てられている既存不適格の可能性
- 建築線に関する古い指定が残っている
- 戦前・戦中の権利関係の処理が不明
- 区画整理の施行地区内にある換地処分の履歴を確認
- 行政の指摘が法令上の制限か、行政指導かを確認した
まとめ
- 地租改正で土地に私的所有権が生まれ、売買と課税の対象になった。
- 明治民法の「法令の制限内で」という構成が、後の規制立法を可能にした。
- 大正8年、都市計画法と市街地建築物法が同時に制定。面と点の二本立てが始まった。
- 関東大震災の復興で区画整理が大規模に用いられ、以後の基本手法になった。
- 公図の精度の問題は、課税のための図面だったという由来による。
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